2014年9月4日木曜日

デジタル写真が生み出す、記憶の連鎖。

前回の更新の締めで、

「フォトストリーム」

という言葉を使いました。これはApple社の「iCloud」というクラウドサービスにおける画像の自動同期機能の名称でもありますが、ここでは直訳して「写真の流れ」という言葉として取り扱います。

写真がデジタル化したことで撮影枚数が大幅に増えたことはここまでに何度も触れてきました。フィルム時代には残枚数を気にしながら撮影していた写真は、デジタル時代には撮りっぱなし保存しっぱなしで使う形になりました。

そのため、スライドショーでみるとまるで「映像」のように大量の写真が流れていきます。私はこれを「フォトストリーム」と呼んでいます。

フィルム時代には数少ない写真から、記憶を苦労して呼び起こしていました。
そのため、記憶から零れ落ちる「記憶」もあったはずです。

しかしデジタル写真時代の今、流れるようにフォトストリームで写真を鑑賞するため、記憶の呼び起こしも簡単になり、そして零れ落ちる記憶も格段に少なくなっているはずです。

人の記憶は、きっかけさえあれば思い出すものが多いものです。
そのきっかけが写真なのです。

写真で呼び起された記憶は、断片的なものです。
しかし、その呼び起こされる記憶が膨大になることでその記憶が有機的に連鎖反応を起こし、写真を撮った際の匂いや感覚、そして感情までも呼び起こし始めます。

その呼び起こされる記憶は、実はビデオにはかないません。
しかし、ビデオをずっと撮影し続けることは不可能です。

写真はその場での感動を損なうことなく手軽に撮影することができます。
一瞬一瞬をつないでいくことで、あたかもビデオのように記憶を思い起こすことができるのです。

そう、写真を見返しさえすれば。



次回より、デジタル写真時代が抱えている根本的な問題について触れていきます。

これを読めば、その問題を解決するキーワードが

「デジタルフォトアルバム」

であることを、理解していただけるかと思います。


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