2014年6月17日火曜日

おもいで、捨ててませんか?

写真とは「記録」じゃないのか。
前回、そうとは言い切れないと締めました。

これには理由があります。
その前に、一つの質問を投げておきます。

貴方は写真を無くして、悲しいと感じたことはないでしょうか。

どこかにあるはずの写真。
どこかにしまったはずの写真。

あれ、なんだっけ?
何が写ってたんだっけ?
なんで大事だって思ったんだろう?



こんな体験、したことはありませんか?

人間は歳を重ねるとともに記憶力が低下していきます。
私はもともと物忘れが多いのですが、ここ最近特に増えてきたように思います。

そして、デジタル写真整理術を生み出すまで、上記のような悲しい思いをよくしていたのです。



写真を失うことで、思い出すことができなくなる「記憶」、つまり「おもいで」があるのです。



写真は、何を残すものだろう?
そう考えたとき、この状況は写真が持つ意味を指し示していると思うのです。

そうはいっても、すべての写真が大事というわけでもないだろう。
無為な写真もあるのでは?

そんなことはありません。
これはデジタル写真時代に新しい鑑賞方法として生み出した「フォトストリーム」が理由です。

次回はこの点について触れてみたいと思います。


→ 次の回へ(デジタル写真が生み出す、記憶の連鎖。)

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