2014年6月13日金曜日

写真とは「記録」だが「記憶」の補助道具でもある。

前回触れた娯楽と生活必需品の境目について、もう少し深く考えてみましょう。

このあいまいな立ち位置になってしまう理由として

「記録」



「記憶」

の両面があるからだ、と説明をしました。

どちらが前面に出てくるのかで、性質が変わる。
それが写真です。

では、どちらが主なのか?

どちらも主なのですが、おそらく「記録」を主としたほうがわかりやすいでしょう。

どこかの流行歌ではなりませんが、ありのままを「記録」するのが写真です。言葉や絵と違い、ホワイトバランスやダイナミックレンジなどの関係で多少の色の差はあれ、そのままを残します。つまり、目に映ったままを残す。これを記録と言わなかったらウソになるでしょう。

それに対して記憶は、その写真に写った記録に紐づけられた心の記録です。記憶は写真に必ずしも写っているわけではありません。ただし、その「記録」である写真があれば「記憶」はより鮮明に蘇ります。

つまり、写真とはタイトルのように「記録」だが「記憶」の補助道具でもある、と表現するのがわかりやすいのではないかと考えています。

では、けっきょく写真とは「記録」じゃないのか。

いえいえ、そうとは言い切れないのです。

次回はそれについて説明します。



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