前回、そうとは言い切れないと締めました。
これには理由があります。
その前に、一つの質問を投げておきます。
貴方は写真を無くして、悲しいと感じたことはないでしょうか。
どこかにあるはずの写真。
どこかにしまったはずの写真。
あれ、なんだっけ?
何が写ってたんだっけ?
なんで大事だって思ったんだろう?
こんな体験、したことはありませんか?
人間は歳を重ねるとともに記憶力が低下していきます。
私はもともと物忘れが多いのですが、ここ最近特に増えてきたように思います。
そして、デジタル写真整理術を生み出すまで、上記のような悲しい思いをよくしていたのです。
写真を失うことで、思い出すことができなくなる「記憶」、つまり「おもいで」があるのです。
写真は、何を残すものだろう?
そう考えたとき、この状況は写真が持つ意味を指し示していると思うのです。
そうはいっても、すべての写真が大事というわけでもないだろう。
無為な写真もあるのでは?
そんなことはありません。
これはデジタル写真時代に新しい鑑賞方法として生み出した「フォトストリーム」が理由です。
次回はこの点について触れてみたいと思います。
→ 次の回へ(デジタル写真が生み出す、記憶の連鎖。)
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